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経営者として心に自分の倫理基準を持とう (H28.2月号) | 社会保険労務士法人ラポール|なにわ式賃金研究所

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平成28年1月~12月

経営者として心に自分の倫理基準を持とう (H28.2月号)

~職業と倫理について考える~
●経営者として心に自分の倫理基準を持とう(H28.2月号)

社会保険労務士として多くの経営者と出会いお話ししている中で、倫理上、悩ましい場面に遭遇することがあります。例えば、会社の経営が苦しいときに 法律はどこまで守るべきか、という命題に当るときなどがそうです。会社が潰れてしまっては元も子もありません。しかしだからといって、どんどん首切りして 良いとか、社会保険料をごまかして良いということにはならないはずです。
こういったケースはまだ分かりやすいのですが、助成金を取り扱う場面で考えてみても悩ましいケースがあります。つまり受給したい経営者は、「これくらいの ことは良いだろう」と都合よくルールを解釈して、結果的に不正に繋がることがあるからです。例えば「存在しない事実を作り出し」たり、「ルールを都合よく 曲げる」などのことが起こりがちです。普段は普通の良い人のはずが、特定の場面では、悪い人になってしまうことがあるのです。
そもそも倫理とは一体、何でしょうか?

倫理とは「人として守り行うべき道。善悪・正邪の判断において普遍的な規準となるもの。道徳。モラル。(出典:デジタル大字源)」となっています。

そこに職業が付いて、職業倫理となると、「特定の職業に要請される倫理、または職業人に求められる倫理、などのことを幅広く指す表現。(出典:実用日本語表現辞典)」となっています。
倫理とは要するにひと言で言えば、「人の道に反しないこと」だと思うのですが、そこに職業が付くと、その倫理のハードルが更に上がるということなのかも知 れません。そしてそのハードルは職業ごとに異なるものであるはずです。ですからその職業に就く経営者は、その職に求められる職業倫理を心の中にしっかりと 持っていないと、間違った経営を行ってしまうのかも知れません。

偽装が横行するのもそういったことなのだと思うのです。
ただ、我々は聖人君子でもなければ、裁判官でもありません。経営が苦しいとき、これをやれば儲かるとの誘惑に駆られるとき、どうしても倫理を見失うことに なり兼ねません。そんな時、大切なのは如何に自分の心の中に、自分なりの倫理基準を持っているか、心の拠り所があるかに懸かっていると思うのです。
信号無視は違法です。誰でも知っています。でも、車の少ない道路、狭い横断歩道ではついつい、赤でも行ってしまう!、こんな場面はよくあることです。
ただその横断歩道の向こう側に、小さな子がお母さんに手を引かれて、ちゃんと待っている!、この前をすっと横切るのは何か逡巡する思いに駆られる、そんな経験はないでしょうか?この逡巡はどこから来ているのでしょうか?

恐らく、人は誰でも子どもの前では、格好の悪いことはできない!、との思いがあるからではないでしょうか。それが他人の子どもであったとしてもです。

そうすると、経営が苦しいときとか、これをやれば儲かるとの誘惑に駆られたときで、今行われていること又はやろうとしていることに対して、小さな子が「これ何?」「何で?」と尋ねられたとしたら、きちんと答えられるしょうか?
もしそこで逡巡する気持ちが生じたら、それはきっとやましいことなのです。であれば、それはするべきではないことなのです。きちんと説明できることであれば、信念を持って行えば良いでしょう。
こういったことも自分の心の中の倫理基準です。心の拠り所です。
特に人の上に立つ経営者は、その職業において、通常の人々よりも一段高い、倫理のハードルを持つ必要があるのかも知れません。全うな経営を行うためにも、経営者として自分を見失わないためにも、心に自分の倫理基準を持つようにしたいものです。

(文責 特定社会保険労務士 西村 聡)

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